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59 HOT100 Scratch/EDDIE & THE SHOWMEN

scratch
Scratch/EDDIE & THE SHOWMEN(Liberty 55608)1963

marksmen
[Scratch/THE MARKSMEN(Blue Horizon 6052)1960]

squadcar
[Squad Car/EDDIE & THE SHOWMEN(Liberty 55608)1963]

lankybones
[Lanky Bones/EDDIE & THE SHOWMEN(Liberty 55695)1964]


タコマのクラブに出演していたギタリスト、GENE MOLESがBUCK OWENSのバックを務めていたギタリスト、NOKIE EDWARDSと知り合い、EDWARDSの家でジャミングするうちに思いついたのがこの曲で、1960年末にシアトルで録音されています。BILL GRAHAMがドラム、EDWARDSはベースでMOLESがギターを弾きTHE MARKSMEN名義でリリースされました。もう1曲はCHET ATKINSの「Hybrid Corn」からメロディをいただいた「Night Run」で、こちらはEDWARDSがリードとベースを演奏しています。DICK CLARKの「American Bandstand」に出演し「Night Run」を演奏したところCLARKに「これはヒットするぞ!!」と言われたもののそんなことはありませんでした。「Scratch」は後にEDWARDSが加入したTHE VENTURESのアルバム「Mashed Potatoes & Gravy」の中で演奏されていますがテンポはだいぶ遅いです。この「Scratch」をアップテンポにしてフェンダー・ジャガー超絶弾きたおしでカヴァーしたのがEDDIE AND THE SHOWMEN。このシングルのもう1曲も高速ワイルド・サーフ・インスト、「Squad Car」です。EDDIE & THE SHOWMENはサーフ・クラシックの「Mr.Moto」で有名なTHE BEL-AIRSのギタリストEDDIE BERTRANDとドラマーのDICK DODDが結成したインスト・バンドで、残された5枚のシングルはどれも素晴しい出来映え。自分的には「Lanky Bones/Far Away Place」が次に素晴しいです。「Squad Car/Scratch」のシングルは1963年7月にリリースされたセカンド・シングルでUnited Recording Studioで録音されています。地元オレンジ・カウンティでは最強のバンドでしたが「Squad Car」もKFXMでは55位、4月にリリースのファースト・シングル「Toes On The Nose」がKFXMで24位、12月リリースのサード・シングル「Mr. Rebel」がKRLAで34位と全米チャートにはまったく届きませんでした。1963年末といえばTHE BEATLESの「I Want To Hold Your Hand」が爆発的に売れだした時期。残念ながらサーフ・インスト・バンドが急速に時代遅れ的ムードに包まれていったからでしょうか。EDDIE & THE SHOWMENはアルバムをリリースすることもありませんでした。そんな中、ドラマーのDICK DODDはJACKIE DESHANNONのバックに引き抜かれ、その後THE STANDELLSを結成。なお、野口五郎に多大なる影響を与えたLARRY CARLTONも1964年の夏から在籍、リズム・ギタリストとして修行を積んでいます。
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| 60S GARAGE HOT 100 | 09:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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58 HOT100 Run,Run,Run/THE GESTURES

runrunrun
Run,Run,Run/THE GESTURES(Soma 1417)1964

dontmessaround
[Don't Mess Around/THE GESTURES(Soma 1426)1965]

bestthings
[Chicks Are For Kids/THE BEST THINGS(United Artists UA 50027)1966]

runrunrunUY
[ラン ラン ラン/内田裕也(東芝TP-1086)1965]


「Run, Run, Run」はミネアポリス、マンカトのバンド、THE GESTURESのヒット曲で、1964年11月にはミネアポリスKDWBで3位、サンノゼKLIVで5位となり全米各地でも続々チャートイン、1964年の12月から1965年1月にかけて全米44位となっています。「Run, Run, Run」はヴォーカル/ギターのDALE MENTEN作で、まだバンドがTHE JESTERSと名乗っていた1963年に書かれました。デモを聴いたJIM MADISONが費用を出して1964年8月16日、ミネアポリスのKAY BANK STUDIOで録音。SOMAから発売されることになりますが、たまたま同名のバンドのレコード・リリースにぶつかったためTHE GESTURESという名前に変更されます。「Run, Run, Run」は100,000枚以上が売れたそうです。もちろんわが国でも日本盤がリリースされ、ブルージーンズをバックにした内田裕也先生の日本語カヴァーも発売されましたがどちらも現在中古市場でレアな雰囲気なので日本じゃ売れなかったんだろうな、きっと。このヒットのフォロー・アップとしてセカンド・シングル「Don’t Mess Around/I’m Not Mad」のプロモ盤がプレスされますがSOMAレーベルは発売せず「Don’t Mess Around/Candlelight」のカップリングで発売されます。この理由についてMENTENは「Don’t Mess Around」、「I’m Not Mad」の両方ともヒットしそうな曲だったのでどっちをプレイしたらいいのかDJがわからなかった、と言っていますが結局「Candlelight」も同じようにどちらがプッシュ・サイドか混乱をきたし、結果的に両面ともミネアポリスKDWBで14位という結果でした。どれもクールでタイト、キレがあって素晴らしい出来なんですが…。THE GESTURES は1965年末には解散。MENTENは友人のバンド、THE ONLY ONESのために曲を書き、その後メンバーが抜けた後に加入。バンドはTHE BEST THINGSと改名して「Chicks Are For Kids/You May See Me Cry」をUnited Artistsから発売します。「Chicks Are For Kids」はシリアルのCM「Trix Are For Kids」をもじったタイトルでした。「Chicks Are For Kids」はミドル・テンポのブルージーでクールなカッコいい曲ですが、チャートに上がることはありませんでした。1966年になり、バンドはTHE MADHATTERSと改名。アメリカン・フットボールのミネソタ・ヴァイキングスの選手、TOMMY MASONのシングルのバックを務めます。TOMMY MASON AND THE MADHATTERS名義のこのシングルは全くヒットせず、同じCardinalレーベルからTHE MADHATTERS名義でTHE BEST THINGSのシングルが再リリースされました。その後MENTENはTHE SERAPHIC STREET SOUNDSを経てA&Rとして活動。1967年にはミネアポリスのサイケ・ガレージ・バンド、T.C. ALANTICに曲を提供したりTHE BOYS NEXT DOORのアレンジを手がけています。MENTENはその時点でまだ19歳でした。

| 60S GARAGE HOT 100 | 09:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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57 HOT100 Roadrunner/THE GANTS

roadrunner
Roadrunner/THE GANTS(Liberty 55829)1965

crackinup
[Crackin' Up/THE GANTS(Liberty 55884)1966]

gantsagain
[Gants Again/THE GANTS(Liberty LRP-3473)1966]


「Roadrunner」はBO DIDDLEYことELLAS O. B. McDANIEL先生の名曲でTHE PRETTY THINGSの乱暴極まりないカヴァーも素晴しいですが、ここではTHE GANTSヴァージョンを取り上げましょう。ミシシッピー、グリーンウッドの少年、SID HERRINGはBO DIDDLEYのライヴを観に行ってすっかりそのビートにはまり、近所の少年たちとバンドを結成。バンドはTHE KINGSMANという名前でしたが、折しもTHE KINGSMENの「Louie Louie」が大ヒットしバンド名を変更。「Gant」というメーカーのシャツから名前をとってTHE GANTSとなりました。THE BEATLESの影響ですっかりビート・バンドとなったTHE GANTSは1965年初めTHE ANIMALSのフロリダ・ツアーのオープニングを務めるというチャンスに恵まれます。THE ANIMALSがライヴで「Roadrunner」を演奏しているのを聴き、THE GANTSはマッスル・ショールズのFame Studioで「Roadrunner/My Baby Don't Care」を録音します。このシングルはStatueから発売され、すぐにLibertyから全国発売されます。「Roadrunner」はタイトかつティーンっぽいバカさに溢れた(もちろん褒めてる。)調子のいいカヴァーで、1965年10月からミズリーやアラバマ、オハイオなどでヒット、1965年12月11日に全米46位のヒットとなりました。ある日HERRINGが友人と車に乗ってWLSの放送を聴いていたら、DJとBO DIDDLEYがTHE GANTSの「Roadrunner」について話していたそうです。DJが「このBeep Beep, Schwoooというのはどうやって作ってるんだろう?」というと「何かの電気的な処理をしているんじゃないか。」とDIDDLEYが答えたのを聴いて、HERRINGはすぐに電話をし、「電気的処理じゃなくて僕の声だ。」と伝えようとしたもののDJとBO DIDDLEYには電話が繋がらなかったそうです。HERRINGは曲を書いていたもののLibertyのプロデューサー、DALLAS SMITHはHERRINGがHERMAN AND THE HERMITSのPETER NOONに似ている、という理由からセカンド・アルバム「The Gants Galore」では全曲そんなイメージのカヴァー曲を選曲、メンバーが嫌でやってるくらいなのですっかりつまらないアルバムになってしまいました。その中で唯一バンドが選曲したのがBO DIDDLEYの「Crackin' Up」で、これはなかなかグルーヴィーでグレイトなカヴァーです。しかし全くヒットしませんでした。サード・アルバム「The Gants Again」ではTHE BEATLESライクな素晴しい「I Wonder」をはじめHERRING作が数曲収録されますが、ツアーの合間に飛行機の上であっという間に書いたという「Roadrunner」に似た「I'm Snake」も魅力的です。

| 60S GARAGE HOT 100 | 09:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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56 HOT100 Psychotic Reaction/POSITIVELY THIRTEEN O’CLOCK

psychoticreaction
Psychotic Reaction/POSITIVELY THIRTEEN O’CLOCK(HBR 500)1966

countfive
[Psychotic Reaction/COUNT FIVE(Double Shot 104)1966]

pushover
[Pushover/JIMMY RABBITT WITH RON AND DEA(Knight K-1049)1965]

mouse
[A Public Execution/Mouse(Fraternity F 956)1965]


「Psychotic Reaction」はCOUNT FIVEのオリジナル・ナンバーで1966年10月15日全米5位のヒットを記録しています。COUNT FIVEはサンノゼの大学生バンド、THE SQUIRESにダブリンから越してきたSEAN BYRNEが加入してできたバンドで、サンノゼ・ステイト・フラタニティのライヴでローカルDJのBRIAN LORDに見い出され、レコーディングをしてDOUBLE SHOTと契約します。バンドはいくつかのTVショウに出演、シングル6枚、アルバム1枚をリリースしたものの休みのないスケジュールがいやになって1969年前に活動停止。当時、総計100万ドルのライヴのオファーがあったのを全部断って全員学生に戻りました。近年のインタビューでBYRNEは「100万ドルのブッキングを断って学校に戻ったことを後悔しましたか?」と聞かれて「した。」と答えてます。COUNT FIVEは無骨ないいバンドでアルバム以降のサイケ・シングルも大好きですが「Psychotic Reaction」に関して言うとPOSITIVELY THIRTEEN O’CLOCKのヴァージョンが素晴らしいです。POSITIVELY THIRTEEN O’CLOCKはテキサス州ダラスのAM局KLIFのDJ、JIMMY RABBITTがテキサス州タイラーのバンド、MOUSE AND THE TRAPSのメンバーをバックに録音したシングル1枚の企画バンドで、バンド名はBOB DYLANの悪口ソング「POSITIVELY 4TH STREET」からとっています。なので日本語では「寂しき13時」が正しいバンド名です。JIMMY RABBITTはマッシュルーム・カットのティーンネイジャーでありながらトップDJで、1965年にJIMMY RABBITT WITH RON AND DEA名義で「Pushover」という曲をリリース。1965年5月にKLIFで40位にランクされ、「High Yellow」(LARRY BUCHANAN PRODUCTIONS INC./1965)という映画に出演しているそうです。「Pushover」はマイナー調のアップテンポ・ガレージで素晴らしい出来です。KLIFで1966年2月、15位に登場したのがMOUSEの「A Public Execution」。その後全米チャート121位まで上がっています。MOUSEことRONNY WEISSはBOB DYLANの影響が強い「A Public Execution」をROBIN HOOD STUDIOSで制作、その参加メンバーでTHE TRAPSを結成します。MOUSE AND THE TRAPS名義でリリースされたセカンド・シングル「Maid Of Sugar, Maid Of Spice」は強力なパンク・ナンバーでしたがヒットはしませんでした。JIMMY RABBITTは9月にRONNY ”MOUSE” WEISS(g)、”BUGS” HENDERSON(lg)、KEN “NARDO” MURRAY(dr)、DAVID STANLEY(b)、JERRY HOWELL(org) というメンバーで ROBIN HOOD STUDIOSに入り「Psychotic Reaction」のカヴァーを録音します。このシングルはHBRレコードから発売されますがRABBITTが関わっているにもかかわらずKLIFでもヒットはしなかったようです。とはいうものの、中古市場でそんなにレアでもないのでそこそこ売れたのかもしれません。HBRは「クマゴロー(YOGI BEAR)」や「怪力アント(THE ATOM ANT)」のアニメで儲けていたHANNA-BARBERA PRODUCTIONSが1965年に始めたレコードレーベルで、THE FIVE AMERICANSやTHE 13TH FLOOR ELEVATORSを配給したりTHE GUILLOTEENSとかTHE NEW BREEDとかの渋いガレージやTHE UNRELATED SEGMENTSなんかも唐突に出して1967年にはリリースを止めてますが、THE HOGS(THE CHOCOLATE WATCH BAND)の「Blues Theme」のようなオリジナルをしのぐガレージ・カヴァーを出しているところが魅力のレーベルです。

| 60S GARAGE HOT 100 | 09:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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