64 HOT100 Shirley/JOHN FRED AND THE PLAYBOYS

Shirley/JOHN FRED AND THE PLAYBOYS(Montel 1002)1959

Boogie Children/THE PLAYBOYS(Jewel 737)1965

John Fred And His Playboys//JOHN FRED AND THE PLAYBOYS(Paula LP-2191)1965
JOHN FRED & THE PLAYBOYS(GARY LEWISのバンドと混同を避けるためHIS PLAYBOY BANDになりましたが) はダイナマイツがカヴァーしていた「ジュディのごまかし」(「Judy In Disguise」1968年)のオリジナル・ヒットで知られます。JOHN FREDは長身のハンサム・マンで、スポーツも万能、モテモテのプレイボーイという雰囲気でヒット曲も連発、でもちょっとにやけたところもあるルイジアナの若大将です。親はすき焼き屋ではありませんがメジャーリーガーです。 FREDはルイジアナ州バートンルージュの出身で15歳でR&Bにのめり込み、大好きな雑誌「Playboy」から名前をとったTHE PLAYBOYSを同級生と結成します。1958年9月23日にセカンド・シングルとなる「Shirley」を録音、コミカルな歌詞とすっとぼけたJOHN FRED の歌声がたまらないニューオリーンズR&Bテイストの佳曲ですが、それもそのはず、バックを務めたのはFATS DOMINOのバンドでした。ニューオリンズのCOSIMO’S STUDIOに録音に行った際、COSIMO MATASSAの口利きで「Whole Lotta Lovin’」を録音していたDOMINOのバンドが演奏を手伝ってくれたのです。一流どころが運よく手伝ってくれちゃうところが若大将です。この曲はよくラジオでかかり全米82位となるものの、FREDが白人とわかるとブラック・ミュージック局がオンエアを取りやめたそうです。1959年にはALAN FREEDのラジオ・ショウに出演、またAmerican Bandstandへの出演を打診されますが、バスケットボールの試合に出場するため断ったそうで、自分の名声よりチームメイトへの友情を大事にするあたりが完全に若大将です。3枚のシングルをリリースした後FREDはサザンイースタン・ルイジアナ・ユニヴァーシティでバスケットボール・プレイヤーとして活動しますが、1964年バンドを再結成します。N-JOYレーベルのROLAND "ROCKY" ROBINのもとで数曲を録音、そのなかから「Boogie Children」が発売されます。「Boogie Children」はJOHN LEE HOOKERの「Boogie Chillen」とFRANKIE LEE SIMSの「Walkin’ With Frankie」を足した曲で強力にドライヴするブギでした。日本の若大将が「Sweetest Of All」なんかを軽く決めるあたりと一緒でしょうか。「Boogie Children」は全然ヒットしませんでしたが、CHESSレコードのスカウトマン、STAN LEWISと働いていたDALE HAWKINSの目に止まりJEWELと契約、「Boogie Children」はじめ数曲が発売された後、白人マーケットを狙ってPAULAからリリースされることになります。その後「Up And Down」「Agnes English」「Judy In Disguise」とヒットを連発、「Judy In Disguise」が1968年1月、全米1位となります。JOHN FRED といえば「Judy In Disguise」と有名になった若大将ですが1969年8月、ラスヴェガスでWAYNE COCHRANがFREDをELVISに紹介すると、「JOHN FREDか、Boogie Childrenの」と言ったそうです。ELVISはWOLFMAN JACKのラジオショウで聴いていたそうで、本物は本物を知る、という話です。
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